「求めるべきものは何か」 04.01.25
ルカ12:22〜34
「思い悩むな」と主はおっしゃいます。食べること、着ることに悩むのは、
現代の日本のような贅沢な悩みではありません。命に関わる切実な悩みで
あり、生きていくための真剣な悩みです。
命や体を大切に思っているからこその悩みです。
しかし、そんな大切なことを、主は「思い悩むな」とおっしゃいます。
それは、主が命や体のことを軽んじているからではありません。
開き直って、投げやりに生きることを勧めているのではありません。私たちの
命や体のことを、私たち以上に心を配っておられる方がいらっしゃるからです。
主はカラスと野の花のことを指しながら、神さまがあなた方の命を保ち、守る
ために心を配っておられるのだとおっしゃいます。聖書は、人が神さまによって
命を与えられた存在であることを語ります。神さまはご自分が命をお与えに
なったものを放っておかれはしないのです。
神の御子である主は、神さまがどれ程人を愛し、大切にしておられるかを
よくご存知でした。
御子を十字架につけてまでも救いたいという、熱意をご存知でした。
神さまが命や体のことに心を配っていらっしゃることを、よくご存知だからこそ、
「思い悩むな」とおっしゃることができました。
「思い悩むな」という言葉は、重く、責任のある言葉です。
私たちはこの言葉を人に向かって言うことはできません。
しかし、命や体を支配し、保ち、守ろうとしておられる神さまの御心を、
よくご存知の主イエスだからこそ、おっしゃることのできた言葉です。
ところで、カラスは、汚れた動物とされていました。
野の花は、小さな取るに足りない存在です。
そのようなものをさえ放っておかない、神さまの恵み深さを主はお示しに
なりました。
神さまは、美しい有意義のものや、大きく立派なものだけに心を配られる
のではありません。
それゆえ、自分の罪や汚れに嘆き、自分の小ささに悲しむ者も、
命や体のために心を配る神さまの恵みの御手(みて)を信じてよいのです。
そこから、神さまや周囲の者に目を向けられる生き方が始まります。